「不合理の中でなぜ❓どうして❓と私たちは思う」神様を信じてはいても苦しみや悲しみは容赦なくおこり、祈ってもそれを回避する事が叶わない。折り返しをとうにすぎた年齢になり振り返ると思うのです。点としてあったさまざまな出来事、苦しみや悲しみも、また喜びの出来事も、今に至るために必然として神様は私たちに与えてくださったと、それは神様の計画であり私たちが成長するために必要であったのだと。偶然ではない必然。点としてあったさまざまな出来事は神様を信じたものにとって点を結ぶ線となり今に至っていると思うのです。
荒川先生のメッセージに耳を傾けてください。